嵯峨嵐山文華館

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企画展

いちからわかる 円山応挙と長沢芦雪

2020年05月23日(土) - 2020年07月13日(月)

18世紀京都を中心に活躍した絵師、円山応挙とその弟子、長沢芦雪の作品を中心に展示いたします。

前期:5/23(土)〜6/22(月)
後期:6/24(水)〜7/13(月)

企画展

展覧会の概要

18世紀の京都には近年特に人気が高まっている伊藤若冲(1716~1800)をはじめ、多くの画家が活躍しました。

そのなかでも、円山応挙(1733-1795)は、現在の京都府亀岡市で生まれ、20代には「眼鏡絵」の制作に携わり、その後、狩野派の流れをくむ鶴澤派の画家・石田幽汀(1721-86)に入門し、狩野派の基礎を学びます。その後、滋賀県大津市にある円満院門跡の祐常門主の支援を得て、「写生」を重視した絵画に取り組み人気を得ます。さらに、「写生」を基本としながらも、現実には存在しない龍や見たこともない中国の風景や人物などを描くことに挑戦していきます。
一方、応挙の弟子である長沢芦雪(1754-99)は、現在の京都市伏見区淀に生まれとされ、父親は淀藩士でした。初め「于しゅう」という署名で絵を描いていましたが、円山応挙に弟子入りし、27歳までには「芦雪」という署名を使っていたことが分かっています。その後、応挙先生とは違う独自の作風を追求し、本物よりも大きなサイズで虎を描いた「虎図襖」(和歌山・無量寺)や、3㎝四方の極小サイズの紙にたくさんの羅漢を描いた「五百羅漢図」などユニークな作品を数多く残していきます。

本展覧会では、円山応挙と長沢芦雪の作品44点(うち初公開作品32点)を展示し、同じ題材を描いた作品の比較やそれぞれの画風の変化などをとおして、ふたりの画家の魅力に迫ります。

作家紹介

円山応挙( 1733-1795)

円山応挙は丹波国桑田郡穴太村の農家に生まれ、若くして人形や西洋風の遠近法を使った眼鏡絵を作っていた。その後、石田幽汀(1721-1786)に入門して狩野派の基礎を学ぶ。
自らも絵を描き、本草学にも精通していた円満院門跡裕常(1723-1773)との出会いにより、「写生」を重視した制作を行う。
裕常没後、三井家のような豪商をはじめ多くの支援者を得て、大画面の屏風や襖絵の制作を精力的に行ってゆく。晩年は目を患ったとされているが、寛政7年(1795)には「松に孔雀図襖」などの大乗寺障壁画を完成させる。極彩色で描いた「牡丹孔雀図」(京都・相国寺)などとは対照的に微妙に濃淡をつけた墨だけで松や孔雀を描いた作品で、最晩年まで新しい表現を追求し続けた。

長沢芦雪( 1754-1799)

長沢芦雪は山城国淀出身といわれ、幼少期を家で過ごし、その後円山応挙に入門した。
応挙入門前後には、「于緝(うしゅう)」という号を使っており、天明元年(1781)には「芦雪」という名前に改名していたことがわかっている。
応挙画風を忠実に受け継いだ「牡丹孔雀図」や「西王母図」などを描いているが、一方で初期作品から奇抜な構図の作品も描いている。
応挙の画風と比較して、大胆で粗放ともとらえられる画風へと変化してゆき、最晩年には「方寸五百羅漢図」などを残すも、45歳で亡くなっている。

作品